100年後の世界と日本 インターネットは世界をどう変えていくか
一般意志って言葉について確認しようと思って検索して出てきたこれスマホで途中まで読んだけど思ったよりボリュームあるし面白さの密度が高いので帰ってたらじっくり読む claude.iconここでは東浩紀氏の講演と質疑応答の主なポイントを要約します:
インターネットが可視化したのは、人々の理性的な意見ではなく、集団的な無意識や欲望である「一般意志」である。 ルソーの「一般意志」概念は、現代のインターネット上の集合知に近いものとして解釈できる。
政治においては、「一般意志」を単に実現するのではなく、それを制約条件として扱うべきである。
大規模な社会では、完全な直接民主制は機能しない。ある程度のエリート主義的な政治システムが必要である。
インターネットの発達により、政府は国民の「一般意志」を常に監視し、必要に応じて抑制する必要が出てきた。
将来的には、労働の必要性が減少し、ベーシックインカムのような制度が必要になる可能性がある。
政治家の役割は、単に民意を代弁することではなく、ポピュリズム的な欲望をコントロールすることにシフトしていく。
テクノロジーの進歩により、一般意志の可視化は技術的には可能だが、それを政治に取り入れるかどうかは「心の持ちよう」の問題である。
講演では、インターネット時代の民主主義や政治のあり方について、哲学的な考察と現実的な課題が論じられています。
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nishio.icon
話題を通して人とつながっていくというツイッター(SNS)と、問題に対して孤独に支援するクラウドファンディングの対比 「孤独な投票」が一般意志
熟議民主主義
鈴木寛参議院議員(当時)
(東浩紀)ツィッターのようなつぶやきというのは未成熟な民意で、それは熟議によってちゃんと高めていかなければならない、という考えなのです。 基本的には普通そう考えると思うのですね。つまり、ネット上に大量に流通しているつぶやきというものは政治的な民意に比べて未熟なものであり、それを熟議によって成熟した民意に高めていくということが民主主義の質を上げるのであると多くの人は思っているのではないでしょうか。
(東浩紀)思想的障害については、普通は人文の世界では古典再 読で乗り越えることに決まっているのですね。「昔の人はこう言っていた」というのが一番強いやり方です。人文 の世界では、新しいコンセプトなどを発明してはいけな いのです。
ルソーは徹底した個人主義者 ... 「学問・芸術論」という本では、ルソーは「基本的には文明 が人間を悪くしている。ばらばらの個人で、狩猟採集民 みたいな小さい家族だけがいて、まったく他人に触れな いときが人間は一番幸せだったのだ」という議論をして いるのですね。「人間不平等起源論」もそう...「人間は交換をするように なったから不平等が生じているのだ。自活が一番。社会 なんかどうでもよい」ということを言っているのですね
ルソーはそのパリのサロン空間とは何回も確 執を起こしていて、結果として田舎に引きこもるという 選択をする ... 実はルソーの生計を支えていた のはこの恋愛小説 ... 「社会契約論」はそういうタイプの引き こもりの人間が考えた政治思想
「一般意志」という概念は、「引きこもったオタクた ちが集まって社会をつくるとしたら、どうしたらいいと 思うのか」という話なのですよ。今からのネットの時代 を考えていくうえで、これは非常に重要なことであると 僕は思います。
つまり、ルソーが考えているのは「人間とできるだけかかわらない政治」なのです。お互いがコミュニケーション をほとんどとらないで、それでいかに政治をうまく回すの かということが、実はルソーの「一般意志」という概念な のですね。別な言葉でいえば「熟議なしの政治」です。 ルソーの前の時代に「社会契約論」と して有名なホッブスやロックという思想家がいました。 ホッブスもロックも、とても理知的な「社会契約論」を 構築しており、要は「ひとりで生きていると、自分の身 体とか自分の所有権等が脅かされるから、合理的な選択 として人間はみんなで社会をつくったのだ」という考え なのですね。ところがルソーは違うのです。ルソーは「合理的に考えたら社会は人間をつくるべきではない」と 考えているのですが、「では、何でつくったんだ」という と、「いやー、何となくつくっちゃうんだよね、人間は」 みたいな話なのですよ。
gpt.iconホッブズとロック、ルソーの社会契約論にはそれぞれ異なる特徴があります。
ホッブズは『リヴァイアサン』において、自然状態を「万人の万人に対する戦争状態」と考え、自己保存のための戦いが生じると述べています。そこで、人々は自己保存権を国家に譲渡し、強力な権力を持つ政府を形成するという契約を結びます。この政府は絶対的な権力を持ち、反抗ができないとされます。 ロックは自然状態を理性的で平等なものと見なしましたが、富の格差が戦争状態を引き起こすと考えました。ロックの社会契約論では、所有権を守るために政府が形成されますが、政府が人権を侵害する場合には、国民には抵抗する権利があるとしています。 ルソーは『社会契約論』で、自然状態において人々は孤立して生きていると考えました。他者との争いや略奪が起こりうるため、人々は契約によって共同体を形成し、共同体に権利を譲渡することで個人の権利を守ります。これが発展すると「一般意志」に基づく国家が形成され、個人の利益ではなく共同体全体の利益を追求するようになるとしました。
これは「社会契約論」の中では「憐みの情」という言 葉で言われているのです。... 人間の合理的な選択、後の時代に登場する言葉を使えば 経済的合理性ですが、ルソーの考えでは社会の根源とは、 こうした合理性ではなくて、もっと根本的な、身体的情動みたいなものに依存しているというわけです。 gpt.iconルソーが言う「憐れみの情(pitié)」は、『人間不平等起源論』や『社会契約論』の中で論じられています。ホッブズが自然状態を「万人の万人に対する戦争状態」としたのに対し、ルソーは人間が持つ生来の「憐れみの情」により、他者の苦しみに共感し、暴力的で残酷な行為を抑制する性質があったと考えました。 文明社会が発展し、私有財産が生まれることで「憐れみの情」は失われ、人々の間に不平等や争いが生じたとしています。 このような人間観を持っていたので、だからこそルソ ーは19世紀に圧倒的影響を与えたロマン文学の基礎とも なり得たわけです。そして、このルソーの人間観をもう 少し洗練された形で理論化するのが100年後のフロイト ... 「無意識」 ... 人間 というものは基本的には“理”で動いていないで、“情” で動いている ... 性とか欲望みたいなものをテーマにすると いうことが、実は18世紀末にはすごく新しかったのです。 だから、この後の19世紀にロマン派というものが出てく るわけですね。つまり、ロマン主義では、合理的・理性 的に動く主体ではなく、欲望に振り回される人間を描く ことを、文学としてのテーマにした
2ちゃんねるって、ものすごく「一般意志」に近い
「一般意志2.0」という本では、私たちの世界は、 熟議と一般意志の2つをある種2本立てでいくべきであ る、ということが結論
僕は日本で2ちゃんねるとかニコニコ動画みたいなもの ができたことは、おそらくすごく重要な意味があると考 えています。それら日本で生まれたメディアは「つながるメディア」とはまったく別の、「孤独なメディア」なの です。孤独に欲望をぶつけるメディアなのです。 一般意志イコール熱狂、そして媒介なし、熟議なしの政治的意思決定、そしてそれが非常に可能性 を持っているというルソーの議論は、20世紀前半でポピュリズムを生み出しているので、現代ではそのままでは 採用できない 【中谷理事長】 では、「一般意志」に民主主義的な意思決 定が従うべきだということをおっしゃっているわけで はないわけですね。むしろ、そういうことに対しては 警戒心を持って対応すべきだということを考えている のですね。
【東先生】 はい、「一般意志」に民主主義的な意思決定が 従うべきだというわけではないのです。僕は、「一般意志」は自分たちの社会にとって制約条件である、とい う言い方をしています。つまり、それに従うのではな くて、制約条件として受けとめるべきだということな のですね。... たとえば、絶対に正しい政策でも金がなければできないことがありますよね。それと同じように、絶対に正しい政策でも人々の感情がついてこなかったらできないわけですね。
独裁政府を倒す のに「一般意志」は非常に有効で、そもそもフランス革命がそうだったわけです。その意味では、アラブの 春とフランス革命はまったく同じ構造なのです。こう した革命のときに、「一般意志」というものは、「この体制は嫌だ」というように破壊には使えるわけですよ。
ただし、「一般意志」を創造的な活動に使うのは非常に難しい
オープンソースは何でうまくいったか...プログラムが動くか動かないか、または速くなったか速くならないか、便利になったか便利にならないか、等の基準ですね。こうした基準を決めるのは「みんな」ではなくて、機械ですよね。だから、基準が外側にあることがオープンソースを可能にしている
「動くか動かないか、速くなったか速くならないか」まではいいんだけど「便利になったか便利にならないか」は機械が決めてないね
なので「この機能が追加された方が便利だ」に対して「ない方がシンプルなので良いのでは」という検証が行われず、どんどん機能が増えていく
価値基準を自分たちでつくらなければならない人文的社会的なプロジェクトに関しては、オープンプロジェクトはそもそも原理的に成り立たないのですよ。これ はすごく重要なことです。それは技術の問題ではなく、 自分たちで価値設定をしなければいけないのだから、 論理的に無理なのです。 【中谷理事長】...きょうのニュースで、米国中央情報局 (CIA)および国家安全保障局(NSA)の元局員が「国 家がインターネットの検索とか、ツィッターの検索とか、誰がどういうことをやっているか、全部盗聴して、 すべて把握して、それで本当に危ないやつにはそれな りの手当てをしている」という告発をした
2013年6月か〜、すごい偶然
【東先生】...イン ターネット上に可視化されている無意識というものを国家が常に検閲しながら、それが暴走しないように、 ある局面においては誘導したり、抑圧したりしながら、 国家の安定を図るというモデルしか、僕はおそらくな いと思います。つまり、みんなの自制的な秩序に任せ ていれば社会がうまくいくということはあり得ないの で、おそらくそれしかないわけです。
ただし、そのときに、人権とか言論の弾圧とかにつ ながる可能性があり、これは結構微妙な問題なのです。 日本も近い将来にこの問題にぶつかると思います。たとえば、ヘイトスピーチの問題等がすごく分かりやす い事例です。ヘイトスピーチも言論の自由の範囲内で す。ただし、ヘイトスピーチを放置しておくと、それ に賛同する人が多くなっていって、別のもっと大きな 動きになり、現実に暴力事件につながっていくかもし れないわけです。そうすると問題があるので、初期のころに芽を摘むという発想がありますよね。... 民主主義国家の原則とか人権とかの原則からすると、そう いう介入はしてはいけないのです。けれども、今後は 介入をした方がいいのかもしれないですよね。 インターネットが画期的だったのは、そ れを構成するものが活字だったことなのですよね。イ ンターネットも字だから読まなければいけなくなった わけですよ。
いわゆる言論というものが紙に刷られたテキストを 中心に動いている時代は20世紀の前半までで、今から 50年ぐらい前にテレビが一般化してから、本質的な変 化がすでに始まっていたのだと思います。そして、ネ ットが登場して、ついにその現実に直面せざるを得な くなってきたということだと思います。
新しい検索ワードを思いつくという ことが、今一番創造的なこと ... 検索すること自体は誰でもできるわけ で、どの言葉で検索するか、ということを思いつくと いうことが実は何かの調査の価値の95%ぐらいまでを決定しているみたいなところがありますよね。その「言葉を思いつく」ということがどこから出てくるのか、 みたいなことを考えたときに、それはおそらく僕の考えでは本当に結構深い話で、人間が言葉を使うということの原初の問題に近いと思います。つまり、何かを見たときに、それをどういう言葉が表現するかとか、 そういう話に近いのです。そして、「この言葉を使う人間はこの言葉を使うだろう」「あの言葉を使う人間はあの言葉を使うだろう」というかたちで、言語の中で完 結してリコメンドしている限り、おそらく新しい言葉は出てこないのですよね。それは「詩をつくるという こととは何か」とか、「本当の愛の言葉とは何か」とか、 そういう問題に限りなく近い話になってくるのです。